不登校のお子さんの中には家では元気、いや元気すぎるんじゃないか?というようなお子さんもいらっしゃいます。
(元気なら学校に行けばいいのに。)と親をはじめ周りの人間はぶしつけに思ったりしますが、実際に学校に行くとなると豹変しまったく元気を無くしてしまったりします。
どうしてこうなのか?親は困惑してしまいます。でも一番困惑しているのは不登校の子ども本人かもしれません。
家だと元気に振る舞うわけ
家だと元気だというのにはいくつかの理由が考えられます。
「自由にのびのびできるから」「学校から解放された気持ちになるから」「自分の居場所があるから」「周りの人に気を使わなくていいから」「家だと安心するから」
というのがよくある理由ではないでしょうか。これらの理由の裏を返せば、いかに不登校のお子さんにとって学校が窮屈かということがわかります。
またこういった理由にプラスして、「元気ではないがなぜか家だと元気に振る舞ってしまう」というように、自分でもなぜかわからないけれど家族の前だとやたらハイになるという場合もあったりします。いわば元気を装っているような状態です。
元気に見える子ども
はたから見て元気に見える子どもが本当に元気なのか?
家族の前では元気そうに、不登校なんて何でもなさそうに振る舞っている子どもが、夜一人で泣いている可能性だってあります。
本当は元気ではないのに元気そうに振舞う時、「弱みを誰にも見せたくない」とか、「家族にこれ以上心配をかけたくない」というように他者に向けた心理が働いていたりします。
また、「惨めな感じで過ごしたくない」とか「自分の中の暗い気持ちに注目したくない」というような自己防衛の心理も働くでしょう。
他にも実は元気そうに振舞うしか方法がないという場合もあります。
つらい気持ちが表現できない
そもそも、私たちの社会ではポジティブシンキングで元気ではつらつとした振る舞いというのが、当たり前に誰もに推奨される態度だったりします。
それは人とのコミュニケーションに必要な態度として、まるで言語のように働く向きがあります。人とのコミュニケーションの中で元気で前向きで楽しいやり取りしかしたことがない人もたくさんいるわけです。
もちろんそれは素晴らしいことです。それ自体に何も問題はありません。ただ人っていつも元気ではありませんしいつも前向きではいられません。ですから時には誰もが本当は元気がなく後ろ向きな気持ちを吐き出す必要だってあるのです。
でもそんな態度は推奨されません。簡単に「愚痴、弱音、悪口は悪いこと」ということで、考えるまでもなくそういったコミュニケーションを嫌悪し排除している人もいます。
これは正しいか正しくないかで言えば正しいかもしれません。ただ、人として自然か不自然かと問われれば不自然だと言えます。
そういったことから、子どもが元気で前向きなコミュニケーションだけしか知らずに育ってきた場合、つらい気持ちの表現方法がわからない場合があります。
コミュニケーション手法として元気な立ち居振る舞いや元気な受け答えしか知らないので、そこから外れるつらい気持ちは表現のしようがないのです。
そういった子どもはヘラヘラして一見悩みなんてないように見えることもあります。
普段とあまり変わらず元気そうなのに、なぜ、その子が学校に行かなくなったのか誰も理由がわからないという場合もあるのです。
本当の気持ちとのギャップ
不登校のお子さんが様々な理由から自分のつらい気持ちを表現できずにただただ元気に振る舞うという時、心への負担が蓄積していっている可能性があります。
「家ではやたら元気すぎる」というようにいつもよりも過剰に元気だという場合はなお注意が必要です。
元気そうに振る舞えば振る舞うほど本当の気持ちとのギャップが広がりつらさが増していきます。
家では元気そうに見えるお子さんは、本当は今すごくつらく困惑しながら頑張っている可能性があるのです。
さいごに
親子と言えど別の人間ですから本当のところは分かりません。
それにやはり別の人間ですから全て理解できるわけでもありません。
ですから親御さんはじめ周りの人は無理に理解する必要は決してありません。
分からなくてもいいので理解できないままそのままで寄り添ってあげていてください。
そしてお子さんの話を聞いてください。
もしそれがなかなかうまくいかないという時、第三者がいる方がスムーズな場合があります。
第三者の存在が必要な時はぜひ私にお声がけいただけたらと思います。
